私が、中国山地の裾野の地・君田村に来て以来、お世話になっている先輩が、2年前に公務員を退職した。
全てが新鮮な出会いと戸惑いのことばかりでの中で、魚釣り、地域の案内、土地柄、風土などを感じさせて頂く機会を作って頂いた一人である。
また、仕事では想いの違いで衝突することもよくあったが、真剣に議論できる人でもある。
第 3セクタ―経営による道の駅整備に向けては、意見交換のたびに感情むき出しになったこともある。村を活性化することの視点では、異論はなかったが、感情的 に唾をとばしあったことが懐かしい。当時を振り返り、あのような、正面から異論など唱えてくれた先輩、同僚がおられたことに感謝している。
そして、今の仕事の一助に繋がっている。
オープン後は、口癖のように「古川お前が播いた施設であるから、お前がいる限りは応援するよ」と色んな方に広報して頂いた。
また、気付いたことも率直に提言して頂いた。
影ので評論家には誰でもなれるが、この先輩は私に対しては、真実を確かめアドバイスしてくれた。
身近な言葉は、とても嬉しく前向きにさせてくれた。
2 年前の退職の際に、公務員のキャリアでどこか勤めるだろうと思っていたら「今まで税金で生活させて頂いた。さらに、外郭組織にぶら下がるような事はしな い。地域は、猪被害が深刻な農家が多い。細々とでも米作りを行い、猪駆除など地域に恩返しする人生にする」との事であった。
そして、日々、猪など鳥獣の情報が入ると東方西走の生活をしている。
身近な人からこそ人生の糧を得る「周学上達」(造語)の生き方がある。
永年税金で生活させて頂いた
- 起業化への指針を与えてくれた「ガルシアへの手紙」
- 「さん」付けで呼ぶ心地の良さ