PTA行事等、学校訪問は妻任せであった。
自分の父の姿を見て、男親は学校に行かなくても良いと思っていた。
自分にとって、親の行動や発言の影響は大きかったと痛感している。
長男が小学校の3年生の春のある日、職場の先輩が「古川さん、PTA副会長になったぞ。宜しく頼む。」
引き受ける、引く受けないの、話などする間もなく「総会で決まったことだ。皆が賛成していた。」今まで一度も学校の敷居を跨いだことがなかった自分が、どうしてと思った。
ゆっくり思慮してみると、PTA役員は子どもが、通学しているこの時期しかできない職務である。
決まったのであれば、まったくの白紙状態であるが、努めようと受け止めた。
これが、縁で多様な人達と出会い、今の仕事にも活かされている。
中学校まで会長などの役員に就き、学校現場やPTAの活動を学び体験したことが後の生き方にも活かされている。
出会いの中で忘れることができないのが、脳性小児麻痺の詩画家「はらみちを」さんとの出会いである。
今想うと、PTA会長の職にあったことが出会いの縁となり、以後も交流を深め、絆を強くできた。
はらさんが「古川君がいなかったら、はらみちを美術館は君田町になかった。古川君の熱意が
君田に絵を寄贈することになったよ」と話してくれたことを嬉しく思う。
誠意と熱意を抱き続けて、行動することで実現できない夢がないことを実感する。
写真:はらみちをさんの創作画