必要な時に必要な人が現れる

子どものこと、仕事のこと、人間関係の気まずいことなど、日々、悩みながら生きているのが人間である。
このような、困り事や行き詰まりが、想いがけない人のお陰で解決したり、心が晴れ晴れなったりすることが多い。
一般的には、単なる偶然の再会、出会い、出来事と受け流す。
本当は、生き方の必然の中で、発生しているように思う。
日々、その時々の過ごし方の中で、自分のためでありながらも、人のことを想い、一生懸命に事に当たることの継続の積み重ねのお返しである。
ある時、上司が、夏の暑い日に小脳梗塞で入院された。当時、私は上司を補佐する立場であった。
入院の連絡を受けて、駆けつけた。
上司は、至って元気な口ぶりであった。1週間もすれば退院できるので仕事のことは頼むと。ベットに横になっていることを除けば、いつもと変わらぬ口調であった。
日が経つにつれ病の方は、思いのほか重症であるらしく、退院しても職場復帰は容易でなかった。
入院中、自宅療養中、僅かな時間であったが顔見せに日々訪ね、会話した。
復帰と休養を繰り返していたが、残念ながら50歳前半で退職された。
退職後も、ぶらりと立ち寄り世間話や仕事の状況などを話し込んだ。
訪ねるたびに「健康に気を付けなさい」といつも声を掛けてくれた。
子どもの大学入学に伴う、下宿探しのことを話した。入学の大学は、上司の奥様の出身地あった。
後 日、奥様から連絡があり、下宿探しは、友人の不動産業者に頼んでおいたから心配しないようにとのことであった。わざわざ、遠方の地まで案内して頂き、何の 苦労もなく下宿が決まった。知らない地で、下宿探しは大変なことと思っていたところ、助けて下さり感謝の念で一杯であった。
奥様は「今まで主人を勇気づけて頂いたり、訪ねて頂き、ほんのお返しに過ぎない」とさりげなく話された。
自由と自己責任の世の中で、人生の種播きは多彩である。その中に、忘れたころに必要な時に必要な人が現れ、解決の道しるべ、後押しをしてくれるものである。
事の多くを偶然の流れと思いがちであるが、生き方の必然がそうしているものである。