古 川さん「私は、戦争中、君田村に疎開した。小学校2年生でした。その時、あなたの義理のお母さんには大変お世話になった。時間を見ては、遊びに行きまし た。いつも、優しく声をかけて頂き、おやつを頂戴したり、遊んで頂いたよ。学校から帰ったらすぐ、行ったのを覚えているよ。お母さんは20歳前の娘さんで あった。本当に感謝していますよ。古川さんが、その娘さんの主人とは。出会いの縁は、不思議ですね。お母さんに恩返しをしなければと思いつつ今になってし まった。この土地は、義理のお母さんへの恩返しとして、全部寄付させてもらいます」。
平成14年の夏、京都へ、君田村が整備を進めていた農村公園の用地の譲渡契約に伺った。
何回かの電話協議で、譲渡して頂くことに合意に至っていた。約150万円程の価格であったと思う。契約書を持参し、短時間で終わるとのことで、京都タワーのロビーを待ち合わせにした。
初めての顔合わせであった。小柄で、とても品格があった。会話にも安心感を抱かせてくれた。
仕事は、岐阜県の某大学の教授であった。
疎開当時が懐かしいようで、君田村の状況を色々聞かれ、時間の経つのを忘れた。
私の家族の事などにも話が及び、人と人の繋がりに驚きながら会話が弾んだ。
京都タワーで、帰途に着く予定であったが、急きょ、自宅まで招待して頂いた。
奥様にも歓迎された。帰り際には、義理の母にくれぐれも宜しく、そして、京都のお土産まで沢山託して頂いた。
人のための無償の愛は、歴史を越えて、子、孫等にめぐってくることを実感する出会いであった。
他界されたが、今も、奥様との交流が続いている。
役場にとっても、経費削減となった。
人のために人生の少しを与え続けることの大切さを持ち続けたい。
どんな人でも、他人の人生を豊にする、生きざまを残すことができる。
写真:寄付で整備できた農村公園
時代を越えてめぐってきた恩
- 地域経営は外部者(お客様)満足(CS)と住民(スタッフ)満足(ES)のバランス
- 必要な時に必要な人が現れる