プールから温泉に転換整備が地域を変える施設になる

あの時(1995年)、あのままプールを整備していたら、今のような賑わいの振興拠点施設になっていただろうか。
他の類似施設の状況から見て、行政のお荷物的な課題施設となっていただろうと回想する。
議会で、一定のコンセンサスをを得て、進んでいた計画の見直し案の方向転換の提案には、緻密な裏付けと勇気が必要であった。
議会議員は、たとえ方向が違っていたとしても、一度承認したことの見直し、転換には、プライドがあり困難である事は、承知の上で方向転換の協議を行なった。
その当時、クワハウスブームで健康づくりの志向とマッチングし、自治体によるプール整備が行われていた。
先例地の視察を行う中で、利用促進にどこの施設も苦戦している状況を見た。
他の町や村で苦戦し、行き詰っていることが、我が村で活性化の起爆剤にすることはとても無理と痛感した。
そこで、コンセプトを「我が家の温泉」とし、住民の生活に根差した大衆温泉に方向転換を提案した。
コンサル作成の分厚い基本計画書なども出来上がっていた中で、方向転換には議会などから様々な事が言われ、心労を感じることもあった。
視察研修などを通じて、時流の変化を感じるままに、行動した事がよかったと思う。
批判の矢面に立つことも多かったが、あの時、議論や批判を避けていたら今のような、村を際立たせる賑わいの温泉施設になっていなかっただろう。
地域づくりは、真似づくりから殆どがスタートし、少しのその地域らしさをトッピングのための勇気ある提案者が必要である。