忘れられぬ日

2011年3月11日は、東日本大震災の日である。昨夜は、テレビ各社も報道していた。
被災された人達は、果てしなく悲しみの日である。
また、全国民にとっても心に刻まれ、悲しみと共に再生をあらためて願うこととなる特別の日である。
誰にも、このように忘れられぬ日がある。
1996年9月16日は、私にとっても思い出すたび、あの子が生きていたらと思い、辛くなる日である。
第3セクー経営の経営計画づくり、道の駅整備に情熱を傾けていた1日にすぎないが、忘れられぬ日となった。
このころは、連日の時間外勤務に追われ、残業前に勤務近くの食堂に夜食を注文するの日課になっていた。
17時半ごろ、食堂へ注文の焼きそばを受け取りに行ったら、交通事故があったとのこと。
その時食堂の女将さんが「古川君、事故らしいよ。ちょっと見てくるから、焼きそばはカウンターにに置いてある」と事故現場の方へ向かった。
女将さんの孫の女の子が事故の犠牲になり、突然に亡くなってしまった。
子どもながらに、食堂の利用者に笑顔をふりまいていた子であった。
女将さんは、食堂を閉めた。宝の孫が急にいなくなってしまったのであるから理解できる。
村の地域再生を目的に立つ上げた3セク、道の駅施設の歴史は、私にとっては夜食の食堂通いの歴史でもある。
女将さんの励ましの言葉、料理が残業の後押しとなり、担当の当初は、あまり関わりたくなかった事業推進に、正面から向かうことができたようである。
暖簾が掛かることのない食堂の前を通るたびに、亡くなられた子の笑顔を思いだし、女将さんに感謝する。
他人には見えない、解らない、忘れられぬ日を持つことが人生の転機になるものである。