Column コラム

豆腐づくりが盛んな地域は活力がある

image20豆腐づくりが盛んな地域は、活力がある地域と聞いたことがある。そう言われて、私が住んでいる村も、地域の女性達による豆腐加工が盛んな当時は、地域や村全体も元気であったような気がする。
豆腐加工は今も続いているが、10年前と比べ加工数量も随分と減少したとのこと。豆腐加工の減少と時を同じくするように地域の活力も減退してきたように思う。
豆腐づくりと地域活力の相関は、 色々な見方がある中で、地域おこしの豆腐づくりの主役は、地域の女性である。つまり、女性の元気が、地域男性の我が地域を活性化させる行動の起爆になってきたのである。
6次加工品とか特産加工品づくりの定番の一つが、地域産大豆を使った豆腐づくりである。豆腐づくりが盛んになることは、大豆の作付け生産に繋がり、農用地の有効利用にも結びつくき農業振興になってきた。
さらに、地域の安全、安心な大豆を使ったこだわりの豆腐が人気となり人的交流が拡大する。
たかが豆腐と思われるかもしれないが、豆腐と地域づくりは高い相関があると見ることができる。
特に、特産としてのこだわりの豆腐加工は、農村における地域振興には欠かせないツールである。

写真:平成6年から始まったこだわり豆腐づくり。豆腐で儲けて、人生を楽しでいる夫人。

初めての青色申告書作成

独立開業し1年。
昨日から、青色申告書を作成しやっと終了した。
独立事務所を設けたものの、仕事があるのだろうかと不安の中で、走り回り、人との関わりに感謝の毎日で1年が過ぎた。
士業独立1年目の自己評価としては、予想以上に多忙な日々であった。
ストレスもなく、収入の減少を補うに足りる、楽しさで業務に取り組めた。学ぶことができた。
今までの出会いの種播きをしてきのを独立1年目に少し刈り取らせて頂いた。
今からが人生として、出会いの種播きを終わりのない業務としたい。
妻の業務管理がストレスかもしれないが、妻のこれが業務の緊張感であり、補助者としての役割であり、感謝をしなければと思い「ハイ、ハイ」と返事を残し出かける。
士業バッチを付けただけでは飯を食えない。

集落共同活動からプロボラビジネスへ

image12農繁期が始る3月中の完成を目指し、100mの排水路の修繕工事に取り組んでいる。
業者に頼らない住民の共同作業である。
国の支援事業を取り入れ、ボランティアの姿勢で、少しの賃金を得る協定活動である。
作業に参加する人は、60代から70代の熟年人である。
キャリアは、多彩でその道のプロのとして会社貢献してきた人達ばかりである。苦難の時代を乗り越えて、日本の経済発展を造り出してきた苦労人であり、辛抱人である。
私は、協定活動の事務局として、作業の休憩時にはお茶とパンを買い求め持参する。
若者の仕事としては、充分な賃金にならないが、所得を得ることは二の次として集落の農業施設の維持修繕に取り組んでいる。
従来の100%ボランティアの集落活動から少しの賃金を受け取り、地域住民には喜ばれる地域貢献のコミュニティビジネスへと定着しつつある。
国の補助金が作業賃金や住民からの機械リース料などとして還元され、地域に金が落ち経済効果も大きい。
プロフェッショナル住民がボランティ精神でビジネス化し、地域を支える「プロボラビジネス」である。
農山村では昨年の法律の施行により6次産業化の推進を国策として取り組まれようとしている。
高齢化、過疎化、少子化など課題の多い農山村では60代を超えた住民が主体となったプロボラビジネスが地域を活性化させるエネルギーになっていくことを期待する。

写真:水田の排水路修繕工事
役割分担と協調の中で正にプロ級

取締役の責任

5年間第3セクターの常務取締役に就任した。
第3セクターであるけれども株式会社である。私、以外の取締役は、社長はじめ非常勤、無報酬であった。
多くの第3セクターの非常勤取締役は、報酬ゼロか会議の費用弁償程度の場合が多い。
第3セクター会社設立から関わり、自身が役員の重責に着いて痛感したことは、往々にして、無報酬を口実に経営に対して責任ある対応をしない無責任さである。
たとえ無報酬であっても、場合によっては身を削る覚悟が求められているのが取締役である。責任と背中合わせが取締役の宿命である。
充て職であるが行政から就任した取締役が「取締役の責任は何ですか」と訊ねられた。
私は「会社のために身を削る覚悟で会社を支えること」と応えた。
例えば会社が資金調達のため借り入れる際には、連帯保証人として実印を押す人が取締役である。
組織に身を置く者の最大の仕事は、役職の大きさに比例し果たすべき責任も大きくなることは、言うに及ばない。
しかし、政治不審や不祥事に対する当事者や責任者のスカッとした責任ある対応に巡り合えなくなったような気がする。
6次産業化人材育成研修の中国地区サポータとして関わる中で、コーディネータの大学教授の熱意と責任ある実践に接し、巡り合うことが少なくなった日本人の生きざまを感じる。
「6次産業化は国の重要政策として続くだろう。厳しい日程の中での研修であるが、成果を上げ、来年度に繋げることのためにも頑張ろう」と語り、時間を惜しまず動いている。
教授と巡り合えたことに感謝し楽しくサポータ役を努めている。

夜間高校で出会った生徒

「古川さん、久しぶりです」
久しぶりに温泉に浸かっていると、さわやかな笑顔の青年が声を掛けてきた。
キャリア教育の授業の講師で、夜間高校の教壇に立たせて頂いていた当時の生徒である。
一人ひとりの生徒の印象はなく、その青年のことも記憶になかった。
夜間高校の4年間を、勤労しながら卒業することは大変な努力が必要である。
青年は、1年生からラーメン店でアルバイトを続け、今年の春に卒業とのことである。
卒業後は、新たな夢の実現に向かって就職も決まっているとのことである。
教壇で語ったことが青年の人生に影響を与えることはなかったと思うが、4年の経過を越えて、記憶に止めいてくれたのだと思うと、嬉しさと感謝の念を抱く。
今から30年前に「地方の時代」を掲げ、県政の変革に取り組んだ神奈川県知事・長洲一二さんが、定例の職員への語りかの中で「十人十色 一人十色」と話され、一人ひとりの個性を活かした、自分らしい生き方を築いて下さいと語った。
周りを気にしたり、他人と比較することで、自分らしい生き方が見出せない場合がある。
自分が気にするほど他人は、気にしていないものである。青年も、バランス感覚を磨き就職を終わりのない社会大学に入学しと思い、学び続け成長して頂きたい。
今もラーメン店に勤めているとのことであり、卒業までに伺いたいと思う。

6次産業化推進人材募集中

国が、農産物の付加価値向上、地産地消の促進を目指し、昨年11月に通称「6次化化・地産地消法」が成立しました。
これを受けて、推進役のコーディネータを全国規模で養成するためのセミナーを開講するものです。
全国10ブロックで開講されます。
人材の役割は、商品開発、マーケティング、販売戦略、事業化など起業的視点で指導的役割を果たすことが期待されています。
私も、中国5県の連携大学である県立広島大学の担当教授をサポートする役割を担うことになり、受講生の確保が喫緊の課題となっています。
農業に関わってみたい、農村で人間関係を拡げたい、すでに6次産業に取り組んでいるが付加価値を高めたいなどの方は、詳細を下記のサイトを確認して下さい。
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加の有無について世論を二分する議論が展開されいます。
日本の農業に与える影響は避けられない、新たなビジネスチャンスとして日本農業の変革の時とか、其々の立場で賛否が飛び交っています。
時代が進化しても、人として心身の健康のためには、安定的な食糧確保は変わることのない最も重要な生活課題です。
農山漁村の基幹産業である一次産業の衰退は、そこの地域の衰退にとどまらない、国民の食卓の安全安心に関わることになる。
サイト:www.furusatokigyo.net/6jika/

女性の社会参加拡大を—アフリカのJICA研修員

image01平成14年から、外国からのJICA研修員に講義させて頂いて8年あまりになる。
毎年、数回、アフリカ、中南米、東欧、アジアなどの研修員に地域振興、ソーシャルビジネス、女性の起業化、道の駅整備と運営などについて実体験で話して来た。
以前、日本の随行スタッフに「学者でない私が、今日のような講義内容で研修員に参考になるのですか」と訊ねた。
す ると、スタッフは「学問理論の講義は、もちろん必要です。併せて、研修員は学生ではないので、古川さんのような実践に基づいた講義は、帰国後タイムリーに 活かせると思います。研修員は、興味深く聞き入っていると思います。成功の美談にとどまらない、苦労の話が、国や民族の違いを超えて、感銘し自国の取組に とても参考になると思います」。
随分と嬉しい返答であると思いつつ、永きにわたりこのような機会を与えて頂き感謝し、毎回、研修員と会う日を楽しみに講義日を迎える。
2月10日は、アフリカからの研修員9名であった。
4時間楽しく、住民参画のソーシャルビジネス等について、語り、意見交換した。
研修員は、国づくりの先頭に立っている人達である。
帰国後は、研修の成果を活かし、新たな仕掛けや政策を提言したり実行に繋げることが求められている。
講義中でも、質問や疑問が投げかけられることが多い。
日本人とは対象的である。
回答に窮するようなこともある。
前日の想定学習を欠かせない。
この日は、自国でソーシャルビジネスを行うことを想定した、ロールプレインも行い、報告しあった。
いずれのグループからも、女性の社会参加拡大を図りたいとのことであった。また、雇用の拡大、伝統芸能文化を活かした観光振興、特産品の開発販売による所得の拡大であった。
また、大陸の国らしく、国境を接している隣国と連携した、直売売所の設置もあった。
「連携・女性」をキーポイントとして挙げていた。
私も、同じように、各種振興の成果ポイントに「広域連携・女性の参画」を掲げるが、うまく実を結んでいない事が多い。
最後に、どのグループも、オープンを2012年、13年と目標を明確にする、報告の締めくくりが心に響いた。
未知の国で、自分の小さな実践が活かされることがあると聴かされると、積み重ねることの価値をあらためて想う。

写真:2月10日の研修

集客資源は人の魅力

1990年代ころからまちづくりが活発に取り組まれた。地方の主体性、独自性を活かしたまちづくりを国も地方も積極的に支援し、類似の交流施設や観光施設が設置された。
これに火をつけたのが、1988年の竹下内閣が交付した1億円である。行政規模に関係なく自治体が同額である。
小さな自治体にとっては、なんとも有り難いお金であった。
公共施設の管理運営に指定管理者制度の導入が拡がり、多くの公共施設はこの制度で選定された、民間企業、第3セクター組織が担っている。
行政直営は、極めてまれな状況となった。
指定管理者は、非効率から抜け出し、民間のコスト感覚、機動性、変化を活かした経営の創造に努めているが、集客や利用者の減少に苦しんでいる。
少子化、高齢化による購買力の低下など社会的要因も大きい。
農山漁村などは、そもそも経営環境のハンディを背負っており、これを克服し自活経営を確立するためには、サービスの独自性を継続し続けることである。
何より、スタッフの感謝とお客様に感動を抱かせる対応が必要である。
箱物(ハード)のリニューアルは、資金が掛かりすぐにはできない。
しかし、スタッフの目線や気持の置きどころで、お客様満足と感動につなげることができる。
出会いがリピーターとなり、さらに、仕事を越えた人間関係となることもある。
自分を応援してくれる人間関係づくりが大切である。
例えば、あの人がいるから行ってみようと、訪ね人100人作ることを目標に日々過ごすと仕事も出会いも楽しくなる。
また、今は物が売れない時代だから、自分を売り込む時代である。

必要な時に必要な人が現れる

子どものこと、仕事のこと、人間関係の気まずいことなど、日々、悩みながら生きているのが人間である。
このような、困り事や行き詰まりが、想いがけない人のお陰で解決したり、心が晴れ晴れなったりすることが多い。
一般的には、単なる偶然の再会、出会い、出来事と受け流す。
本当は、生き方の必然の中で、発生しているように思う。
日々、その時々の過ごし方の中で、自分のためでありながらも、人のことを想い、一生懸命に事に当たることの継続の積み重ねのお返しである。
ある時、上司が、夏の暑い日に小脳梗塞で入院された。当時、私は上司を補佐する立場であった。
入院の連絡を受けて、駆けつけた。
上司は、至って元気な口ぶりであった。1週間もすれば退院できるので仕事のことは頼むと。ベットに横になっていることを除けば、いつもと変わらぬ口調であった。
日が経つにつれ病の方は、思いのほか重症であるらしく、退院しても職場復帰は容易でなかった。
入院中、自宅療養中、僅かな時間であったが顔見せに日々訪ね、会話した。
復帰と休養を繰り返していたが、残念ながら50歳前半で退職された。
退職後も、ぶらりと立ち寄り世間話や仕事の状況などを話し込んだ。
訪ねるたびに「健康に気を付けなさい」といつも声を掛けてくれた。
子どもの大学入学に伴う、下宿探しのことを話した。入学の大学は、上司の奥様の出身地あった。
後 日、奥様から連絡があり、下宿探しは、友人の不動産業者に頼んでおいたから心配しないようにとのことであった。わざわざ、遠方の地まで案内して頂き、何の 苦労もなく下宿が決まった。知らない地で、下宿探しは大変なことと思っていたところ、助けて下さり感謝の念で一杯であった。
奥様は「今まで主人を勇気づけて頂いたり、訪ねて頂き、ほんのお返しに過ぎない」とさりげなく話された。
自由と自己責任の世の中で、人生の種播きは多彩である。その中に、忘れたころに必要な時に必要な人が現れ、解決の道しるべ、後押しをしてくれるものである。
事の多くを偶然の流れと思いがちであるが、生き方の必然がそうしているものである。

時代を越えてめぐってきた恩

古 川さん「私は、戦争中、君田村に疎開した。小学校2年生でした。その時、あなたの義理のお母さんには大変お世話になった。時間を見ては、遊びに行きまし た。いつも、優しく声をかけて頂き、おやつを頂戴したり、遊んで頂いたよ。学校から帰ったらすぐ、行ったのを覚えているよ。お母さんは20歳前の娘さんで あった。本当に感謝していますよ。古川さんが、その娘さんの主人とは。出会いの縁は、不思議ですね。お母さんに恩返しをしなければと思いつつ今になってし まった。この土地は、義理のお母さんへの恩返しとして、全部寄付させてもらいます」。
平成14年の夏、京都へ、君田村が整備を進めていた農村公園の用地の譲渡契約に伺った。
何回かの電話協議で、譲渡して頂くことに合意に至っていた。約150万円程の価格であったと思う。契約書を持参し、短時間で終わるとのことで、京都タワーのロビーを待ち合わせにした。
初めての顔合わせであった。小柄で、とても品格があった。会話にも安心感を抱かせてくれた。
仕事は、岐阜県の某大学の教授であった。
疎開当時が懐かしいようで、君田村の状況を色々聞かれ、時間の経つのを忘れた。
私の家族の事などにも話が及び、人と人の繋がりに驚きながら会話が弾んだ。
京都タワーで、帰途に着く予定であったが、急きょ、自宅まで招待して頂いた。
奥様にも歓迎された。帰り際には、義理の母にくれぐれも宜しく、そして、京都のお土産まで沢山託して頂いた。
人のための無償の愛は、歴史を越えて、子、孫等にめぐってくることを実感する出会いであった。
他界されたが、今も、奥様との交流が続いている。
役場にとっても、経費削減となった。
人のために人生の少しを与え続けることの大切さを持ち続けたい。
どんな人でも、他人の人生を豊にする、生きざまを残すことができる。
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写真:寄付で整備できた農村公園