Column コラム

公設民経営の成功の陰に住民ボランティアあり

6月から広島県呉市川尻町にある野呂山の標高800mにある「野呂高原ロッジ」の支配人に就任している。支配人の立場であるが、他の業務と調整しながらの非常勤である。
今日は、月2回の住民ボランティアの1日であった。
花壇の草取り等、施設の環境整備を自主的に取り組んで頂いている。
感謝の言葉をつげると、ボランティアの代表の男性が「この野呂山は町にとって大切なところです。月2回の小さな活動ですが、これからも来ます。多くの方に観光に登って来て頂けるよう頑張って下さい」と励まして頂いた。
公設民営の第3セクターのような地域振興経営が、持続的に集客し、収益を計上できているところは、住民と共にある経営戦略が重要である。
その一つに無償のボランティア住民が成功要因となっているところが多い。
15年前に創設した第3セクターの場合は、村の助役が休日のボランティアドライバーとして支えてくれた。
収益性に劣る環境の中で、地域経営成功の陰には、地域愛、人間愛を持ったボランティアの存在が大きい。

第3セクター決算と古さを歴史の重みに活かした第3セクタ-

6月は多くの企業で株主総会が開催される。
第3セクターも殆どが6月に株主総会である。行政の会計年度に合わせて、決算をするためである。
公共施設の管理経営に民間事業者の参入を可能にした指定管理者制度により、3セク事業体も効率経営を行うようになっている。
決算においては、行政が投資設置した箱物、備品等の減価償却費を計上せずに行う。さらに、行政から一定の管理経費として指定管理料を繰り入れている場合も少なくない。
このような、特典の中で黒字決算となる。民間事業者からは、見せかけの黒字となるようである。
近年、見せかけの黒字決算ができない第3セクターが多くなっているようである。
相談や関わらせて頂き感じることは、地域との「しがらみ経営」に変化できないで、10年、20年を経過し、利用者、販売の減少になっている。
つまり、市場視点を踏まえた変化経営と創造経営が行われてない。
企業は「生きもの」であり、日々日々変化し持続することを目指さなければならない。
第3セクター経営は、市民に喜ばれるソーシャル経営である。
広島県呉川尻町の野呂山にある野呂高原ロッジは、第3セクター経営施設である。
標高900mから瀬戸内海を見下ろせる絶景。宿泊、レストラン、オートキャンプ、テントサイト、遊歩道、弘法大師ゆかりの弘法寺などがある。巨岩の大重岩にキスをすると幸せになれると案内看板に書かれていた。
高原ロッジは、開業し40年以上になるとのこと。
建物は古くなっているが、古さを嘆かず、歴史の重みとして活かした、スタッフの接客の心地良さを感じる。
持続の源は、人材にあるようだ。

孫の事故死の悲しみを乗り越えて3セク経営施設の料理長に

1997年10月にオープンした道の駅(温泉・宿泊・レストラン・宴会等)の料理長に、永年、村で食堂を経営していた60代の女性に就任して頂いた。
食堂は、数少ない村の憩いの場として賑わっていた。役場職員にとっては、5時からの溜まり場となり、村づくり議論の場でもあった。
千客万来の賑わいがある食堂でとして、コミュニティが生まれた。
Iターンの私にとっては、時には母のうように叱咤激励して頂くことが度々であった。
住民に親しまれる食堂であったが、1996年9月16日を最後に店じまいした。
9月16日、小学校低学年の孫の女の子が食堂前の道路で、大型トラックに引かれ急死されてしまった。
これ以上ない突然の悲しい出来事に店じまいされたのである。
当時、私は1年後の道の駅オープンに向けて、日々10時過ぎまで、運営の方針や人材の確保、広報宣伝、ネーミングンの選定、関係機関への手続きなど業務や課題の整理に夢中であった。
夕食は、食堂にお願いすることが多く、9月16日も注文の夕食を歩きながら取りに行った。この道中で、事故と出くわしたため日時を忘れることができない。
道の駅オープン直前になってもレストランの料理長の選任が難航していた時、食堂の経営者(おかみさん)であった方に料理長の就任を依頼した。
悲しみのため、1年間、家に引きこもりがちであったが、村の活性化のため応援をお願いし、就任して頂いた。
農村の食文化、地域らしさを取り入れたメニューが人気となり、レストランの経営基盤を築いて頂いた。
60歳過ぎの年代で、多忙の日々で、肉体的にも辛かっただろうが、スタッフに厳しさと母の優しさでまとめて頂いた。
「厨房は戦争だよ。皆一所懸命に自分のこととして頑張っている」とリードして頂いた。
退任され、久しぶりに昨日会った。亡くなられた孫のことが話された。
私が「9月16日の5時過ぎだったね」と話すと「命日を覚えているの。ありがたいね」と涙されてた。
私としては、せめて命日を忘れないでいることが感謝と思っている。
まちづくりの注目地には、馬鹿になり、自分のこととして取り組んでいる人材が存在するものである。

物を売る前に自分を売る

想うように物が売れない時代である。
新企画を持参しお客様を訪ねても、おいそれと振り向いて頂けない。
今の時代は、物に興味を持って頂く前に、まず自分を売ること事が大切である。
お客様と信頼関係を築き、お客様から「人柄」に惚れ込んでもらえるようにすることである。
誠実さに勝る商品はないのである。

経営分析を活かした3セク経営

民間経営では、経営戦略、マーケティングには当たり前のこととして行われている経営分析であるが、公共経営や3セク経営では、今まではあまり行われていない。
少子化、高齢化により消費人口の減少、購買力が低下するの中で、最小の投資で最大の効果を発揮することが公共経営や3セク経営の基本として浸透してきたようである。
過去の数値分析を踏まえた将来への数値目標を掲げることは重要なことである。しかし、そこに過度に時間を要し、本来のお客様とのコミュニケーションを欠いた事にならないようにすることである。
行政が関わる場合、得てして数値の積み上げや見直しに満足し、本来のお客様目線と合わない机上の分析になる場合が少なくない。
現場の実態や世の中の変化を体感できている人が経営分析を行うことが必要である。

負けて勝て

行政職員とし在職していた今から10年ほど前に、公設の施設管理を委託していた、管理者の要望について協議することがあった。管理者から、村に対す要望だ出された。
私は、村長に対し行政の管理担当の責任者として「一般住民に理解されないことを特例として認めることは出来ないだろう。公平性に欠くと思われることは、言いにくいことでも言うべき」と村長に提言した。
村長は、目を閉じながら私の発言にじっと聴き入り「分かった。言われることは正しい。行政は、古川君が言うことが基本である。しかし、時には、いけないことと分かっていても、受け入れなければならないこともある。今回は”負けて勝て”の選択にしよう」。
納得いかない選択で、担当職員の努力にそむくことでおさまりかねたが、トップの決断であり従わざる得なかった。
住民の幸せにつながるのであれば、役所の決まりごとや前例主義に捉われない選択をすることが、トップに求められる。
協議の場に於いては、喧喧ごうごうで気まずさも残った。
後に、私が行政を退職し、観光交流施設の3セク経営の責任者になってからは、管理者に応援者になって頂き、度々訪れて頂いた。
他界される1月ほど前に「古川君、今日一杯呑みに行かないか」と声を掛け頂いたが、都合が悪く行くことが出来なかった。翌日に、入院され、退院されることなく他界されてしまった。
保身性を含んだ発言は不信を生むが、誠意ある議論は絆の深かまりを生む。

書き続けた歓迎メッセージ25000通

「ようこそお越しくださいました。今夜は、世間の気ぜわしさを忘れ、心身のくつろぎの一夜としてお過ごし下さい」など、お客様一人ひとりの顔を想像したり、再訪に感謝したり、お客様の姿を想い浮かべ、お客様ごとに違う言葉で書き、部屋に置き続けた。
第3セクター経営の道の駅(温泉宿泊を併設の観光施設)の常務支配人に就任期間の5年間に、日々取り組んだ一つである。
多い時は、30通以上を書くことも珍しくなく、1時間から2時間を要する。
前日に自宅に持ち帰り、書くことも度々であった。
5年間で100字余りの一筆を25000通以上書いた。
お陰で、筆使いも上手になったように思う。
来客の70%がリピータで、一人ひとりのお客様の状況などを考え、想像し、感謝を伝えるようにした。
一筆のメッセージが縁となり、今もって付き合いをさせて頂いている方も多い。
サービス業は、自分の身に照らし、自分が喜ぶことをお客様にすることが最も基本である。
つまり、自分がされて、快くないことをしないようにすることでもある。
小さな心配りや思いやりが、末永い来客になって頂ける。
後任の支配人も、引き継いで書かれている。
3セク経営の創設や経営に関わった15年間を通じて、出会った人のお陰が、今の仕事の基盤となっている。
まちづくりの公共経営として、民間経営にはない地域との繋がりとしがらみの気苦労もあるが、多彩な人との出会いの機会が多い。
日々の一筆メッセージを通じて、人生を考えたり、人との関わりを振り返ったり、新サービスの企画を想像したり、とても貴重な時間であったように思う。
小さな努力の継続が、組織に頼らない一人歩き可能な人間を創ることになった。

地域経営はバランス経営

経営は、細く永く継続することが大切である。
継続することが、企業の使命であり社会に貢献することになる。
地域振興施設の経営改善や計画づくりのたびに、バランスの図り方に悩む。
経営も人もバランスが重要なポイントである。
地域経営は公共の地域づくりを目的にした非営利性と、民間経営の利益追求のバランス経営を踏まえた、自立経営戦略が求められる。
そもそも、地域振興施設の経営は、収益性に乏しい経営環境を克服するために公が取り組んだものであるが、公共施設の管理に民間事業者の参入が可能となり、このバランス経営が崩れ出しているとこが課題となっている。
民の柔軟性や変化力等と公の安心感をマッチングさせた、バランス経営を創り出し持続することが求められる。

広島県民は樽ヘビ人間?

image02随分前に、新聞の記事に「広島県民は樽ヘビ人間」である。
まちづくりの成果が出ないのは、この県民性にあるのではないかとの内容であった。
樽の中の一匹のヘビが這い上がろうとすると、他のヘビがじゃまし、這い上がるのを止めるとのこと。
つまり、人間にたとえれば足を引っ張るとのことである。
私は、青森県の津軽の生まれである。同じような状況が少なからずある。
広島県民に限った事ではない。
永い間まちづくり事業や活動に関わり、批判者がいることで立ち止り考える小休止になる。
批判者も、いつか応援者になってくれる時がくる事を目指し、信じて進むしかない。
批判や話題になっているうちは、注目に与いすることであり、新たな展開が可能である。
這い上がろうとする一匹になるか、その他大勢の一匹になるか、人生の選択は沢山ある。
リーダーは、辛苦を楽しめるようになれば一流である。

子供は家族の愛情のおこぼれで育つ

image31子供は将来を担う宝として、家族、社会の中で教育される。
教育の基本は、家庭にあることは論に与いしない。
世の中の急速な変化や他人の影響を受けて成長するため、外部環境を子供教育の難しさの要因にすることが多いように感ずる。
人間教育は、終わりのないテーマである。
いつの世も、親は悩みながら子供と共に歩んできた。
子供は、日々の暮らしの中で、両親や家族がお互いに認め合い、空気のようなストレスを起こさせない、さらりとした愛情のおこぼれがあることで、バランス感覚を身に付けた人としての礎を身につけることができる。
食卓の会話や日常の身の周りに沢山の創造性を高める教材がある。
たとえば、カレンダー、時計、食卓の食器、料理の内容、家族の服装、兄弟の年齢など無限にある。
学びの道具に活かすことができる。
高い教材を買わなくても、日々の暮らしの中で物事に対する好奇心、創造性を磨く訓練が出来る。
なにより、お父さんとお母さんが仲よくする姿が、子供にとって人としての教育効果を高めるベースである。