Column コラム

村役場のよそ者職員

チーム力、組織力を高めるためには、多士済々、多種多様、男女混在などの人材構成が必要である。
私がかつて勤務していた村役場には、10人余りの村外からの職員がいた。
当時の村の人口は、2千人の過疎化、高齢化、1次産業の担い手不足など山積する行政課題の克服策が見いだせずにいた。
村民からは、村役場は数少ない地元雇用の場として注目されていた。
村長は、人こそが活力ある村を創り出すとして、優秀な人材を広く求めたのである。
私が、村外からの第1号職員として採用された。以来、広く募集を行ない10人余りのよそ者職員に増加した。
広島市、三次市、庄原市、滋賀県、大阪、島根県から多彩な人材が役場職員となった。
この職員達は、おごることなく村民の期待に応えようと情熱の姿勢があったように思う。
共通してコミュニケーション能力が高かった。
このうち5名が部下として、共に汗流し、知恵を出し合ってくれた。
名も知られていなかった小さな村の知名度を高める仕事をしてくれた。
村長は、村民からどうして他所から採用するのかと批判を受けることがあったようだが、しがらみに縛られない村づくりを創造していたように思う。

故郷に恩返し

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駅舎サロンに展示されている太宰治とたけの銅像写真
9月13日に故郷(青森県中泊町)のまちづくり講演会の講師に招かれた。
毎年冬になるとニュースになっているストーブ列車の始発・終着の駅の町である。
テーマは「人が変れば地域が変わる~未来に繋がる宝づくり~」。
120名余りの参加者であった。町役場の職員、一般町民、企業経営者、まちづくりの女性等であった。
故郷を後にしてから40年。
いつかは、故郷に恩返しをしたいものだと思い念じていたところ、夢の一つが実現できた。
誰もが故郷を想い、故郷の活性化を念じ、故郷への熱い想いや思い出を礎に人生を築いていると思う。
高齢化、少子化、企業撤退などにより地域活力の減退に歯止目策が見つからない状況とのことである。
まちづくりの基本である「ないものねだりをせず ある物・者」を活かすことの大切さを痛感する。
辛抱強く、前へ前と進む力となっていた小中学校の友人が終了後に訊ねてきた。
10年以上の久しぶりの再会である。「お前の今日の姿に感動したよ」と言って握手をしてくれ、胸が熱くなった。
誰にも故郷があるように、誰もが故郷へのメッセンジャーとして支援できる。

勇気の力「いつかは故郷への恩返し」で人生を切り拓く

故郷を後にし、生きている人にとっての勇気の力は「いつかは故郷への恩返し」の気持ちの強さが、七転び八起きの力になっている人が多いのではないか。
「親孝行としなければ」の気持ちと並んで大きいように思う。
辛い時、苦しい時、悲しい時等に脳裏に浮かぶ故郷の農山、同級生との思い出が前へ前と歩む人生力になっている。
このように考えると、小学校、中学校のころの故郷の畦道等とのふれあい、体験、同級生との喧嘩など、故郷での交わりの多さ、深さ、強さが人生にとって重要な事である。
生まれた故郷のまちづくりに直接参加することができないが、今暮らしているこの地域の活性化のためにとの強い想いを持ち続けて実践している。
故郷を後にして40年。町役場から講演依頼があり、9月13日に故郷を訪問することになった。
まちづくりのための少しの刺激とヒントの語らいをしたい。
誰でも地域、故郷の活性化応援団になれる。

遊休農用地にソーラー発電

高齢化、少子化と青年の都会への流出により農業後継者の確保がままならず、遊休農地の拡大に歯止めがかからないのが実態である。
経営の大規模化、効率化が農業経営にも浸透し、棚田、山際農地の管理は嫌われる。
先祖が切り拓いてきた農村の原風景とも言える農地が原野と化し、農村の景観を損なう状況にもなっている。農地として再生するには困難な情況になっているところもある。
そこで、遊休農地を活用したソーラーパネルの設置が拡大しているようである。
資本力のある大手企業が手掛けるようなメガソーラー規模でなく、土地の面積にあった10KW程度の発電規模を複数設けることで、集落の消費電力の一部を賄えるようになる。
農地は本来の食料生産資源として利用できる事が最善である。優良農地を積極的に非農用地化しソーラパネルの設置はすすめられない。
遊休農用地の有効活用の視点から再生可能なエネルギー確保に向けて、農村が果たすべき役割が追加される時代になってくるのかと思う。

農山村第3セクターの連携から統合へ

1990代に農山村の経済振興、雇用の拡大など活性化を担って多くの第3セクターが設立された。
しかし、平成の合併、公共施設の指定管理者制度への移行により、行政支援の削減もあり経営苦戦を強いられているところが少なくない。
苦戦を乗り越えるために、同一市町村の第3セクターの連携を積極的に推し進める時代が来ていると思う。
農山村地域の3セクの最大の課題は、人材教育、意識改革ができにくいことである。
3セクの雇用者の殆どは、地域住民で地縁血縁者からなり、お互いの顔色を気にしながらの経営であることが多い。
経営責任者は「経営は生き物」と「変化」の栄養素を与え続けようとする。
しかし、責任者は社員、地域住民も巻き込んだ批判の中で変化すること、チャレンジすることに勇気が無くなり「仕方がない。まあいいや。批判を浴びてまでしたくない。」の経営姿勢になることが多い。
苦難経営を克服するためには、課題である人材教育、意識改革を実践するために、同じ市町村内の3セクが連携し、広域的な人事異動、人事交流を推し進める事が方策として考えられる。
将来的には、組織統合を見据えた経営改革に取り組まなければならないように思う。
3セク組織に甘んじることなく、収益企業体として変化経営の持続なくして存続がない。

安芸灘とびしま海道の連携支援

異国の風情に富んだ瀬戸内海に浮かぶ安芸灘の島々に魅せられ、下蒲刈島、蒲刈島、豊島、大崎下島の4島の連携による活性化の方策を提案したのが2010年。
連携を具体的に動き出させるためにどのようにしたらと思い廻らせていたところ、ちょうど県立広島大学が地域課題解決に向けた調査研究事業を募集していた。そこで蒲刈町の自治会長に呼び掛けて応募し採択され、4島の産学官民による連携の一歩が始まった。
呉市に合併され、2008年には架橋で4島が陸続きになり、連携の環境が整っていた。しかし、永年の各島特有の文化歴史、考え方が根強く、近くて遠い隣島である。隣の島は何をすることよで生活が成り立っているので、あえて連携による新たな地域振興など無縁のようであった。
大 学の事業活動を契機に、徐々に4島関係者が同じテーブルで協議が持てるようになり、ついに2011年6月18日に「安芸灘とびしま海道連携推進協議会」の 連携組織が設立された。2012年5月12日には、初めての協議会主催による25㎞、30㎞のウオーキングが開催され県内外から約1000人が参加した。 島民も行政もスタッフとして参加し、連携の手ごたえを得たようである。
安芸灘ブランドのイベントとして継続することになった。
地域づくりに必要な人材の一人に「よそ者」が上げられる。
地縁血縁の無いよそ者の立場で人材ネットワークの力を借りて、安芸灘とびしま海道のブランド化を目指し今しばらく支援する。

成功者は教え好き

成功者と言われる人の多くは、自らの体験や成し遂げている様々なことを教えることが大好きである。
経営戦術の秘密と思われるようなことも楽しそうに語る。
多忙であっても、こちらのわがままな研修要望に応たえる日時に対応しようとの配慮が電話口からもうかがえる。
訪れる人を拒まずの姿勢が貫かれている。
伝えたノウハウの一つでも、伝え聞いた人の企業活動に取り入られることを喜びとしている。
成功者はと言われる人は、訪問者や視察者に全てを語りながら自らの事業活動に取り入れるネタ探しの好機として活かす能力を磨き続けている。
つまり、成功者は常に「与えて得る」の精神を忘れない人でもある。

里子への告知

とし君が後1月で6歳になる。
我が家に来てから満4年である。
遊び好き、自然を何よりの友として、畦道を駆け回るわんぱくぶりを毎日発揮している。
毎日のように、お母さんに、叱られ、怒られ、注意されても、お母さん大好きである。
保育所からの帰りの車中で「とし君、お母さんといつまで一緒に寝るの」と聞いた。
「お母さんが、死ぬまでよ。いけないか。」と自慢顔で応えた。
生涯産みのお母さんの愛情を受けることはできないが、実子と同じように接している妻には頭が下がる。
妻と来年の小学校入学を機会に、とし君に生い立ちを告知しようと話している。
どのような語りから始めるかと考える。告知のことを瞑想し、目的の高速道ICを通過してしまったこともある。
真実を理解した時に、里子である自分を好きになり、人を信じる力とし、社会に活かせるようにと成長を願っている。
告知は里子と里親が越えなければならない特別なことはでない。

独創的地域づくりは90%の真似から生まれる

活力ある地域づくりの一つは、真似上手な担当者、リーダーの存在如何である。
真似上手が地域力を活かした取り組みを生み出すことになる。
独創的、創造的仕掛けの90%は真似の組み合わせから生まれている。
つまり10%の地域性を表面化させることが他所と差別化された魅力ある地域づくりの形となっている。
視察研修等の先例地訪問は、真似体験の蓄積のためである。
真似力を高めることは実行力あるリーダーを育てることである。
地域を元気にするためには、しがらみに負けない真似ぶ実践者が一人りでも多く存在するようになることである。

道の駅「たかの」来春オープンに向けて

来春、庄原市高野町にオープンする道の駅のネーミングが「たかの」に決まった。
約400点の応募の中から、選定委員会の提案を経て最終決定にとなった。
いずれの応募名も地域の活性化の拠点として寄せる期待をうかがわせるものであった。
この中から、最もシンプルなネーミングに決まった。
選定委員会に参加し、住民の情熱と市役所支所の職員の道の駅整備に対する熱さを感じた。
地域活性化の主役は住民であるが、それを仕掛ける行政職員の姿勢が重要である。
給料を貰って、終日、地域のことを創造することを職業としている行政職員の中にキーマンと言われる存在が必要である。
物、金でなくそのキーマンの人柄、情熱にに引き寄せられて、関わる機会を与えられた人達が汗をかき知恵を出し合い、地域らしい仕組みが出来上がってきている。
私にとっても3カ所目の道の駅整備の関わりで有る。
道の駅「たかの」の整備の一旦に参画できる事に感謝し、住民の期待と利用者の満足を裏切らない経営組織となるよう支援したい。