猪を山クジラのキャッチコピーで呼んでいる。
猪被害で農家は、丹精込めて栽培した作物が収穫の楽み直前に猪の餌になることがたびたびあり、駆除に頭を悩ましている。
野呂山にでは、駆除捕獲した猪の肉を使ったハンバーガーを商品化している。
冬場のボタン鍋として食されるように、ハンバーガーに調理した猪肉は、歯ごたえのしっかりした食感でる。
試食された、女性から猪パワーが湧き出るようであったなど、総じて好評の声が届いた。
猪そのものからのイメージとは随分違っていたようである。
手の施し方で変化するのは、努力姿勢による人間の変化にも似ている。
何事にも類似性を見出すことができる、学びとることができる。
古さを嘆かず歴史の魅力を活かした地域づくりを
建物が古くなったことを取り上げ、古さが賑わい低下の原因とすることがある。
古いと言うことは、歴史があると言うことにもなる。
古いと言われる昭和時代の建物には、木造づくりが多い。
歴史を刻んできた木造建物は、木の持つ温もりや歴史を感じるレトロさを魅力とすることができる。
木のベランダ一つとっても、触りたくなる。
ヨーロッパ等に比べ、日本の街並みには歴史の深みを感じさせる建築物が少ないようである。
人集めのために古き良き歴史資産を取り壊さない、人集め評価に翻弄されない地域づくりが、
求められる時代である。
呉川尻町にある野呂高原ロッジは、築43年となる。標高800m余りのところにあるが、レストランは、中高齢者を中心に賑わっている。
床、天井、窓越しの風景から過ぎ去った懐かしい昭和の時空に身を置くことができるようである。
プールから温泉に転換整備が地域を変える施設になる
あの時(1995年)、あのままプールを整備していたら、今のような賑わいの振興拠点施設になっていただろうか。
他の類似施設の状況から見て、行政のお荷物的な課題施設となっていただろうと回想する。
議会で、一定のコンセンサスをを得て、進んでいた計画の見直し案の方向転換の提案には、緻密な裏付けと勇気が必要であった。
議会議員は、たとえ方向が違っていたとしても、一度承認したことの見直し、転換には、プライドがあり困難である事は、承知の上で方向転換の協議を行なった。
その当時、クワハウスブームで健康づくりの志向とマッチングし、自治体によるプール整備が行われていた。
先例地の視察を行う中で、利用促進にどこの施設も苦戦している状況を見た。
他の町や村で苦戦し、行き詰っていることが、我が村で活性化の起爆剤にすることはとても無理と痛感した。
そこで、コンセプトを「我が家の温泉」とし、住民の生活に根差した大衆温泉に方向転換を提案した。
コンサル作成の分厚い基本計画書なども出来上がっていた中で、方向転換には議会などから様々な事が言われ、心労を感じることもあった。
視察研修などを通じて、時流の変化を感じるままに、行動した事がよかったと思う。
批判の矢面に立つことも多かったが、あの時、議論や批判を避けていたら今のような、村を際立たせる賑わいの温泉施設になっていなかっただろう。
地域づくりは、真似づくりから殆どがスタートし、少しのその地域らしさをトッピングのための勇気ある提案者が必要である。
人が人として成長する種は出会いの数で決まる
変化する時代の中で、成長するためには、多くの人との出会いを積むことが必要である。
人は誰もが成長し、変化できる。このために、学び続ける気持ちが必要である。
自ら求めて行動する人もいれば、与えられた機会を活かす人もいる。
どのような事からも知識、知恵を得られる。
人が人として成長する最大の種は、人との出会いの中にあるよう思う。
コミュニケーション能力を磨くことが、豊な人生の基本である。
人との語らいから感じる幸福感に勝るものはないように思う。
人との出会いの中から、仕事、ゆとり、安らぎなど、人生の枝葉が広がってくる。
農山村のまちづくりが期待どおりに行かない要因は、出会い体験が少ない住民の集まりがある。
見えない物が見える「よそ者」「他所体験者」の人材が必要である。
寂然不動の生きかた
「寂然不動」は物静かな中にも秘めたる力があること。
9月4日、この言葉を毛筆で書いた色紙が届いていた。
菓子銘菓カルビーの元取締役が訪ねてこられ置いて下さった。
この方は、この言葉そのものの生き方である。
自己存在の表現や組織リダーの先導方法など、生きかたは十人十色である。
どの色で社会参加するかは自由である。
ただ、組織のリーダーや経営の責任者には、時として「寂然不動」の姿勢、資質が求められる事が多い。
例えば、景気減速への対応、資金繰り対策など、孤独の中で最良の選択に迫られる時などは、日頃からの寂然不動の姿勢の積みかさねが力を発揮する。
世間の風説に耐え、寂然不動で進むことこそが人生のそのものである。
「農村・海島・山」にある公共施設の第3セクター経営の支配人として
思い念じ、努力することで道は開ける。
いつかは、あのようになりたい。
目標を明確にし、コツコツと努力を積み重ねることで、到達できるものである。
農村3セクの設立から経営者・支配人をかわきりに、海島3セク、山3セクの支配人に就任させて頂いた。生きかたに共鳴し、応援してくれる、声を掛けて貰えるものである。
あっという間の20年間であった。
良好な隣人関係の構築を大切にしながらも、距離感を置く隣人の見お定めが重要である。
特に、陰口、グチ、不満が口癖は、エネルギーを削ぎ取られるので、心底からの関係を作る必要はない。
お陰さまで、3セクの違いが身にしみ、人生の生きがいにできるようになった。
何れの3セクも経営の目的は、地域振興、観光振興である。
立地環境の違いがあるものの経営手法にさほど差はない。
ただ、地域住民の意識の違いに気づき、住民との関わり方を間違わない事である。
情熱と前向きな考え方が、想いを現実化できる。
6次産業の花回廊にあるドナ
森の中にあるドナ。
ドナは、主にアイスクリームとヨーグルトを販売する小さなお店である。
広島県世羅町にある。
自らの牧場から生産される牛乳をベースに、加工販売している。
世羅町は、6次産業の先駆地域として県内外から注目されているようである。
季節の花栽培を台地に咲かせ、観光の花回廊となっている。
花回廊から少し離れたところにドナがある。
雨の一日であったが、牧場育ちのジェラードを買い求める人で賑わっていた。
ヨーグルト、アイスクリームは絶品である。
さらに、ウインナーコーヒーは、なんとも口当たりがよく、コーヒー好きの私にとっては、感動の一杯であった。
後継者の青年は、寡黙のようであるが、見せる笑顔がどことなく人寄せの雰囲気である。
両親の牧場経営を後継するためにUターンしたとのことである。
農村の最大の課題は、後継者の確保である。
将来の農業ビジョンを描き、実践してほしいものである。
ドナは、大きな空間ではないが、異国情緒を感じさせる、落ち着のある時を過ごせた。
写真は、ヨーグルト、アイスクリーム
義理を欠かない生きかたを
先日、行政書士事務所を開設し間もない青年(30代?)とお会いした。
とても、前向きで、世の中の動きに敏感で、人生設計を組み立てようとする姿勢を感じさせる人であった。
どうしたら、仕事に出会えるかと悩んでいた。
行政書士の仕事は、他人に夢と希望を抱かせる士業として、士業当人が暗くなっては、始まらない。
士業が生計の糧になるまでには、並大抵ではない。
資格取得者が、仕事として活かされるまでには人としての、人格形成を基本とし、専門性を高めることに努め続けなければ長続きはしない。
不安に駆られるけれど、食いつなぎながら誠実に人のために、社会性を磨く生き方を提案した。
他の士業もご多分に洩れず同じような状況と聞く。
社会的信用業であり、焦らず、誠実に対応することなどの積み重ねと、報酬ありきで動かない姿勢が大事である。
困っている人の支援者としての、奉仕の精神が基本として持っておくことが将来に繋がる。
わが身を振り返り、若い時から義理を欠かない、対人観で過ごしてきたことが、士業2年目のコンサル業務に出会っているようである。
何歳になっても人生の種まきを続けることが重要である。
運の良い人と付き合え
たゆまぬ努力、直向きな努力で運を引き寄せることができると多くの人は思う。
これは、運とは違うように思う。
努力は、目標や夢の実現を目指したり、幸福な人生や社会的地位を得る手法として、誰にも平等に与えられている。
運は、努力では如何ともし難い、説明し難いものであるように思う。
強いて言えば、意識の中に運の種がある様な気がする。
運の良い人はシンプルな語り、行動、身なりで人を引き寄せ生きているようである。
周りの空気を気にかけ過ぎて、運の良さを感じない人と調和を図ろうとしない事が大事である。
経営の成功者は、捨てる勇気を持ち合わせ、自らの運の良さを失わないようにしている。
神とカミ(妻)の共通点
困ったときの「神」頼み。
なんだかんだと言っても「カミ(妻)」さんしかいない。
行き詰ったときや心身の疲労感を気にかけてくれたり、現状からの打破のために、支えに求めるのが「神とカミ」さんである。
地域づくりに必要な地域資源の一つに地域の神社、仏閣などの信仰資源の「神」であると言われる。
また、家庭の平安、活気に「カミ(妻)」さんの作用が大きい。
地域を元気にする資源も家庭を笑顔にするものはどちらも身近な「かみ」さんである。
市町の地域経営に携わり、殆どの場合、身近な地域の資源を活かすことに気づいていない。
ない物ねだりに時間を浪費せず、足元の資源、隣人の存在感に気づくことが地域づくりの原点である。