Column コラム

見えないところで仕事をする経営責任者がいる組織は持続している

従業員には、「社長は何をしているんだろう。あのぐらいだったら俺もできる」と思うようだる。
経営者は、見えないところで仕事をしているものである。
時間に関係なく、会社のために取引先を訪問したり、人と会ったり、資金調達に心労したり、多忙極めているものである。
私も、若いころに、上司の姿を見てそう思った。
いざ、自分が管理職や経営する立場になり、責任ある者の辛さに気付いた。
それでも、社長や幹部を目指し血ナマコになれたのは何故だろう。
第3セクター経営には、見えないところで仕事をする経営者、支配人等が少ないようである。
配属することの必要性に気づいていないのであろう。
痛みを伴う責任者が経営に携わっていないためである。

地域づくりのリーダーは数字に強くなれ

地域づくりも、経営感覚が必要である。
「地域をまとめること=住民の共感を得る」ことづくりの推進である。
このようなリーダーの資質が地域力を作り出すためのに求められる。
しかし、農山村に於いては、輪番でリーダーの役割を担うようなケースが少なくない。
最近は、行政からの地域行事への支援金が少なく、資金面でも苦慮し、
”カネなくして活動できず”で活動の低下になることも多い。
今までの流れにそった消化行事から、限りある予算を時代に相応しい地域創りに繋がるカネの使い方が求められる。
リーダーの視野力が地域力の差となる。
数字で地域の創造を説明できる、地域経営力を持った人材が必要なである。
このような人材は「3K(強調と競争と共存)」の使い分けができなければならない。

農業者目線で6次産業化を支援

昨日、広島6次化の推進に向けた、セミナーが開催された。200名近い参加者で、6次産業化への関心の高さを感じた。
第1期生の6次産業プランナーとして、プランナー制度が定着し、農業者から頼られるプランナーになれるようにするために、重い責任を痛感する。
絵に描いた計画のための計画で終わらないようにしなければならない。
試行錯誤の支援行動のところもあるが、フットワーク良く農業者目線を基本として、農業者の夢を目標に変えて、達成支援ができるようにしなければならない。
農業者の笑顔と希望の6次化産業化を目指し、自らも共に楽しみながら取り組みたい。

55歳からが本当の自分らしい生き方に出会い中

私にとって今が、人生の仕事の中で最も楽しく過ごしている。
20数年の地域づくりの経験を活かす事ができる業務に携わらせてもらい、感謝し、楽しく駆け回っている。
よそ者として、関われることが生き生きさせているのだと思う。
55歳で、自営人間として、実践に基づいたコンサル業務はとても楽しいし、喜ばれている。
依頼業務を通じて自己実現ができているようである。
9月1日は、車の走行距離が300㎞を超えた。
朝7時に家を出て、2つの3セクの経営業務の協議であった。
市町村合併による、設立時の行政の支援が弱くなり、自立経営のシナリオが年々弱くなっている。
そもそも、農山村3セクは、行政支援が前提にしか成り立たない事が分かっていたはずである。
自明の理を、覆い隠して指定管理による民間手法も相当な経営手腕者がいても、困難極める経営課題と直面している。
地域づくりは、地域の人達が地域の良さに気づき、活かすことである。そこに、よそ者的な人の関わりがどうしても必要となってくるようである。
組織人間から自営人間として社会から頼られるようになるかは、今この一瞬の姿勢如何である。

農業は家族経営が基本

農業の基本は、家族経営にあるように思う。
高齢化し担い手の確保が難しくなり、農業にも会社経営方式が増えている。
広島県は、集落型農業法人の数が全国で最も多い。
農用地を農用地として活かすためには、いかしがたいところである。
集落型農業法人が地域の農用地の担い手の主流になりつつある。
かつては、農村では3世代同居による、家族農業が一般的あった。
家族農業と隣近所の助け合い、分けあい、そこに農村の豊さ、故郷感があった。
6次産業事業の相談で訪問する農家に、昔ながらの農村家族に出会えることが多い。
今日訪問した農家の米袋のシール写真には「このコメは私たちが作りました」とあり、小学生、両親、祖父母がにこやかに写っていた。
効率性、収益性、コスト性の農業経営と共に、季節と共に生きる家族農業になぜかしらホッとする。

知識より意識

「知は力なり」の名言をのとおり、知識を膨らませることは人生を豊かにする道具とすることができる。知識と言う道具を意識力に変えなければ、ただの道具でしかない。
学校では、沢山の知識を学び、社会人になるが、知識の活かし方を学ぶことは少ない。
社会人は、道具の知識を基にした意識力が重要である。
仕事力を高めるためには沢山の知識は必要なく、仕事を進めることに対する意識力が何より重要である。
組織力を上げるために、会社から研修の機会を与えられるが、好機として研修に参加し、変わる自分を創造し、意識力の改革に努める人は極めて少ない。

組織を離れた後の生き方に人生の輝きを

組織の中にいる時に、退職後の生き方に繋がるキャリアや人生観を身につけることを、心の片隅において職務に当ることがこと必要である。
組織の中での肩書は、組織におけるポジションでしかない。
組織の中での一過性のものであることに気付かず、礼節をわきまえない人を見受ける。
特に、公務員が多いようである。公務委員は、様々な法律の執行権者に過ぎないが、間違った権力者になったような態度や発言に出くわすこともある。
退職後の人生を自らの足で踏み出せるような生き方を磨く、人生大学として勤務することが必要である。
全ての出会いや隣人から学ぶ「周学向上」がポジティブブな生き方の源になる。

三原市の道の駅のオープンに向けて経営戦略会議設置

来年の4月に国道2号線に最初の道の駅が三原市にオープンする。
駅名は「みはら神明の里」に決まったと発表された。
地元の伝統の祭りにちなんだ駅名である。
運営会社は、道の駅のために地元の企業、団体等が出資した形で設立されて、動き出している。
この会社に、行政の出資はない。つまり、3セク会社ではない。純粋な民間視点の会社である。
先日、経営戦略会議が開催された。
多士な面々で、役割分担を行い調整を図り、スピード感を持って進む事になった。
民間人の判断の勢いを感じた。
行政の場合は、ハードの箱物の検討に時間が掛かり、ソフトの経営方針が後手後手になる場合が多いが、挑戦的発想の民間視点の力強さを感じる会議で会った。
民間的発想を活かすと共に、まちづくりの担い施設として市民の自慢の道の駅とするために目線の置きどころと民間視点ののバランス経営が重要である。

収支プラスの農村交流イベントの企画

都市農村交流イベントの継続のためには、収支がプラスになるように企画、実践することである。
農村側が都市住民や参加者を手厚い、与えるもてなしの時代は終わった。
以前は、農村側の受け身的、引け目のような気持ちの中で取り組まれていた。これでは、継続できないし、参加者の側も気兼ねして、本音の交流に行きつかない。
今年も、7月23,24日、ひまわり祭りを開催した。残念ながら、ひまわりの開花が遅れ、鮮やかな黄色のジュータン敷きのような感動はなかったようである。しかし、花に勝るとも劣らない、人の交流で賑わった。
会場には、若者、老人会、農業者のバザーが参加者の交流の場となり、100万円余りの売り上げがあったとの報告があった。
収支トントンを超え、反省会の費用も賄えるようである。
以前は、一方的なもてなし交流会で、終わった後は脱力感をが強く感じ人が多かった。
ギブアンドテイクで、川上と川下の住民が本音で交流し、お互いに日常的に行きかう、共存共栄の暮らしを本気になって作り上げることが求められる時代である。
農村社会には、まだまだ、他人を本気になって気づかう人が暮らしている。

マニュアルを超えた無理なところから利益が生まれる

マニュアルの決まりごとに沿った対応やサービスは、一定の経験でそれなりの対応は出来るようになる。
お客様目線の、マニュアルを超えた対応やサービスが利益となるのである。
このようなお客様の無理な求めの満足が、感動となり永い絆になる。
できないと拒否する前に、なんとかして要望に応えることができないか考えることが、仕事が面白くなり、能力が高まり、人との繋がりを広げる。
仕事ができる人は、「はい」が口癖になっている。なんとかしてあげようと行動することで、仕事がどんどんぶら下がり、辛い状況にもなることもある。しかし、結果として、仕事の幅も能力も高まる。
拒否的な人から見れば「人好し、馬鹿な」となるが、組織を離れた時に「ハイ」と「ノウ」の違いが出る。
40才までは、「ハイ」を連発し、両腕を広げても囲みきれない程に仕事の幅と深みを求める、情熱を的に事に当っておくことが必要である。
人間は、必ず土に帰っていくのだるから、泥臭く生きる姿勢も身につけておくことである。