地域づくり、地域経営の活動の最も基本は、外部者満足(CS)と住民満足(ES)がバランスのよい企画運営が必要である。
農村地域の従来型の交流活動はどちらかと言うと外部者を受け入れ側の住民が一方的にもてなす交流であった。
住民は、過疎化や高齢化等の集落課題を数少ない交流を縁に、地域を活性化したいとのふるさと愛から、これでもか、これでもかと、一方通行のもてなし交流が多かった。
住民は、外部の交流者が帰った後は、それまでの疲れが一挙に出て脱力感しか残らないことが多い。
交流づくり、地域づくりから持続した地域経営に展開を図り、地域活力に繋げるためには、CSとESが自転車の両輪のようにバランスが取れたギブアンドテイクの関係が重要である。
地域づくりから地域経営に誘導することは、経済的循環と還元手法を生み出すことが求められる。
地域経営は、会社経営より困難を極める。
地域経営成功の路は、経済的刺激が、CSとESのバランスを生み出す。
会社経営は、経営方針に合わない社員を採用しなかったり、不要な社員には退職を迫ることが可能であるが、地域経営は、そう言う訳には行かない。
住民の合意形成を基本として事を進めなければならない。
情熱的な若い女性補佐役に支えられて
平成8年4月に18歳の女性が新規採用された。
公務に対する情熱が、勤務早々から評価される存在となっていた。
村役場、始まって以来の大型プロジェクトの道の駅整備、経営母体の設立にスタッフとして加わった。
行政職員、1年生とは思えないほどの創造性と行動力に敬服と感謝の日々であった。
一つ指示すれば三つ返してくれた。
正に、著書「ガルシアへの手紙」に出てくるローワンのような職員である。
小柄であるが気丈な精神で、段取り良く、付加価値を付けた仕事を提案、実行してくれた。
施設愛称の全国公募、運営マニュアルの策定、ロゴマークのコンペ、社章の企画などオープンに向けた数々の課題の解決に努めくれた。
成果は、女性の感性なくしてはと、感心させられることが殆どであった。
公務員としては、当然のこととして、表だった評価や光が当たるこはなかったが、私にとっては、この若い女性スタッフの補佐役の存在があったからこそ予定通りのオープンができた。
オープン当日も、表舞台に出ることなく陰で受け付けや、来客の案内などに、汗を流してくれた。
陰ながら二人で「有難う。よかったなあ」と交わした会話を忘れることができない。
時代も変わり、公務員にも評価の仕組みが導入され始めている。運用の難しさもあるが、何事にも前向きに創造性を持って業務に当たる職員に光を当てる評価に市民も依存はないだろう。
何年か後の道の駅の創立記念式典において、運営会社の第三セクターからこのスタッフに感謝状を贈って頂き、本当に嬉しかった。
当時を思う時、脳裏に浮かび、感謝する忘れられぬ一人である。
見えないところで頑張ってきた、このスタッフに感謝の気持ちをお願いした時も「公務員だから」との声もあったが、身近な人の努力を評価して頂き有り難かった。
花を咲かせるための、種まきの仕事を通じて、多くの異業種の方々との出会いが財産である。
最初は、経営「を」学ぶこと(計画づくり)に一生懸命であったが、オープン後は、経営「に」学ぶ(利用者ニーズや時代の変化)の貴重な体験であった。
我を忘れ、一生懸命になれる時代を過ごすことが必要である。
ナンバー2として組織を支えた日々
経営の最高責任者は社長であるが、補佐役のナンバー2の存在によるところが大きい。
NO2が力量を発揮するためには、創造性豊かな人生観と揺るぎない経営理念を持った社長の存在あってのことは言うに及ばない。
NO2は、女房役の調整役、叱られ役、いざと言う時には泥をかぶる覚悟が求められる。
成果は社長に行く仕組みを作ることが必要である。
このためには、NO2は社長のことを知り尽すことが必要である。
第3セクーの設立から経営の補佐役として15年間携わる中で、取締役会終了後に、よく、社長とお客様の引けた温泉に入った。
裸の付き合いで、今後の経営のこと、役員会で議論になったこと、3セク経営としての課題や労務管理の悩みなど、心底から話しあった。
その時、社長が「私も世間では、村長(当時3セク社長を兼務)は、どうだ、こうだ、と批判されているものだ。半分は批判者であると思え。一時の人気取りの経営や行動は、永い目で見れば逆効果となる。古川君、一生懸命に誠実に勝るものはない。頼むよ」。
設立から経営の方針、戦術など提案のトップマネジメントができたことに感謝している。
補佐役、NO2として、落胆したり、責任を取ったり、全てが学びの時として、今に活かされている。
講演会では人づくり、経営の指針として、感動のメッセージを頂き、感謝している。
苦労~感謝~感動~感謝のサイクルが人生を築き、経営に活かされる。
写真:JICA研修生と加工体験
道の駅整備に情熱を燃やす市職員
全国に道の駅を地域の活性化に繋げようと設置され、950駅以上となっている。
広島県三原市は、国道2号線に整備される初めての道の駅として、平成24年4月のオープンを目指している。
市の担当職員は、三原市の産業、観光客の立ち寄り、三原市の魅力発見の拠点駅にするため奮闘している。
私が、このプロジェクトのアドバイザーに参画させて頂いて6月になる。
検討会や打ち合わせなどのために片道1時間30分以上の道のりも担当職員の情熱に、こちらが前向きにさせられて帰路に着く。
職員は、地域の企業、観光協会、商工会議所を訪問し、整備計画や経営母体の在り方などの理解と協力に駆け回っている。
また、議会との協議、市民への協力や参画など、市民の誇りの駅として根付き、利用者ニーズを忘れない経営母体の設立などまだまだ越えなければならない課題がある。
経営に浮き沈みはつきもので、経営は生きものであり、育て方次第である。
特に、公設民営の公共目的を踏まえた公と民のバランス経営が求められる道の駅は、オープンに向けた行政職員の想いや力量が後の経営、集客に及ぼす影響、効果は大きい。
地域振興事業であり、様々な批判や後ろ向きな発言とも向き合いながら、立ち止りながらである。
ストレスや感情の高ぶりの日も多くあるようだ。
仕事帰りの居酒屋では、会議室では見られない白熱した議論になる。「道の駅三原(仮称)は、整備して良かったと市民に誇れる場所にしよう。〇〇君頼むぞ」と上司が語りかける。
やってみなければわからない要素も多くあるが、市民が喜ぶための軌跡を語り共有している。
瀬戸内海の多島美を眼下にしたロケーションを資源とする環境を活かすため、運営母体と市民と行政の三者連携が持続的な社会貢献経営となり夢の実現へ導くと思う。
一生懸命に努めることで、対極にいる人達もいつかは、応援者になることを信じて進むほかない。
写真:整備地から望む
退職後に知的障害者の施設を開所して17年
中学校の恩師から、かぼちゃと人参で菓子加工したかりんとうを届けて頂いた。
通所型の知的障害者施設を開所して17年になる。
入所者の人達が作付け、収穫し、商品化した。
健康志向世に相応しい、素朴な味覚である。見た目も農村の風景を想像させるようである。
恩師は、教員を退職後、自らの退職金を資本に、開所した。以来、17年間にわたり、障害者の自立支援を継続している。
恩師は「人の生き方は様々であるが、金や物を残すことに時間を費やすより、人のためになる生き方が大切である」と語っていた。教育者としては、当たり前の言葉かもしれないが、それを、自らの財を投じて実践できる生き方を貫ける人はそんなに多くはない。
国の補助金や措置費も低下し、入所者の賃金を賄おうと農作物の栽培にも取り組んでいるとのことである。
ガンとの闘病、施設運営などの計り知れない辛苦を乗り越えて「この人達に働ける場所を、生きる楽しみを」と前向きに生きている。
身近な恩師から、人のために生きる人生の価値を学ぶ。
写真:車いす 詩画家 はらみちをさん
後方 恩師
「さん」付けで呼ぶ心地の良さ
私は社会人になって以来、仕事上では他人の名前を呼ぶ際に、君付けや呼び捨てにせずに今に至っている。
入 庁3年目ぐらい(32年前)に上司となった方が「古川さん、肩書は一過性のものであり、組織の中ではたとえ同級であっても、上司になったり、部下になった りする。変わることのない、名前に「さん」で呼ぶようにしなさい。聴き触りも良く、人間関係づくりにも良い」と教示して頂いた。確かに、転勤で赴任したそ この職員は、私のような20代の新前にも「さん」付けで呼んでくれた。呼ばれた方も、明るく返事をせざるを得ないような気にさせられる「さん」である。
年齢が下であると、50代でも、60代でも「君」付けで呼ぶ人もいるが、厳しい世の中を生き抜いて来た、熟年者を少しの年齢差なのにと思う。
1月21日に人材育成の講演会に招かれ、呼び名に「さん」付けで呼ぶことについて、触れた時、主催者の代表の方が「直売所のスタッフに、さん付けで呼び合うことを習慣にしたいと始めている」と共感して頂いた。
感情の高ぶりを抑制することもできる魔法の「さん」であるように思う。
永年税金で生活させて頂いた
私が、中国山地の裾野の地・君田村に来て以来、お世話になっている先輩が、2年前に公務員を退職した。
全てが新鮮な出会いと戸惑いのことばかりでの中で、魚釣り、地域の案内、土地柄、風土などを感じさせて頂く機会を作って頂いた一人である。
また、仕事では想いの違いで衝突することもよくあったが、真剣に議論できる人でもある。
第 3セクタ―経営による道の駅整備に向けては、意見交換のたびに感情むき出しになったこともある。村を活性化することの視点では、異論はなかったが、感情的 に唾をとばしあったことが懐かしい。当時を振り返り、あのような、正面から異論など唱えてくれた先輩、同僚がおられたことに感謝している。
そして、今の仕事の一助に繋がっている。
オープン後は、口癖のように「古川お前が播いた施設であるから、お前がいる限りは応援するよ」と色んな方に広報して頂いた。
また、気付いたことも率直に提言して頂いた。
影ので評論家には誰でもなれるが、この先輩は私に対しては、真実を確かめアドバイスしてくれた。
身近な言葉は、とても嬉しく前向きにさせてくれた。
2 年前の退職の際に、公務員のキャリアでどこか勤めるだろうと思っていたら「今まで税金で生活させて頂いた。さらに、外郭組織にぶら下がるような事はしな い。地域は、猪被害が深刻な農家が多い。細々とでも米作りを行い、猪駆除など地域に恩返しする人生にする」との事であった。
そして、日々、猪など鳥獣の情報が入ると東方西走の生活をしている。
身近な人からこそ人生の糧を得る「周学上達」(造語)の生き方がある。
起業化への指針を与えてくれた「ガルシアへの手紙」
私が「ガルシアへの手紙」と出会ったのは、第3セクー設立に日夜、頭を悩ましていたときであった。
この本は、エルバート・ハバートという教育家が記述したものを、日本ではハイブロー武蔵さんが解説も加えて出版している。
アメリカとスペインがキューバをめぐる戦争の中で、アメリカのマッキンレー大統領が、何処にいるかわからないキューバのガルシアへ緊急に連絡の手紙を渡したい。
手紙をローワンという男に託した。
大統領から手紙を託されたローワンは、大統領から手紙を受け取り、何も言わず戦火の地へ入り込んで行った。
ローワンは、ガルシアに関してあれやこれや問い合わせることなく、自ら考え、行動し、未知のジャングルを彷徨い、ついにガルシアに手紙を届けることができた。
ローワンのように、自分で創造し、行動し、自分の行動や発言に責任を持つこと、自立精神の大切さなどの教訓を学ぶことができた。
リスクや批判の回避のためにあれやこれや理論を並べる人がいつの世も多い。
勇気ある行動を興し、継続することでしか未来と夢の道を切り拓けないことに気付かせる一冊であった。
社員の研修、子育てにも最適の教本である。
いつの時代もローワンを探し続けている。
高齢者はコミュニティビジネスのリーダー
昨日(1月6日)府中市老人大学で講演をさせて頂きました。
テーマは「高齢者はコミュニティビジネスのリーダー」です。
高齢者と言っても、苦難の時代を生き抜き、国家の復興を支えてきた心身共に頑健な人達ばかりです。そこで、地域の様々な問題や身近な人達の悩みごとを、ビジネス的に継続できる仕組みを創るようにやってみようとのことです。
高齢者の豊な人生経験や熟練の技能、技術を地域社会の問題解決に活かすようにすることが重要と叫ばいる。
参 加者からは「野菜の直売を一緒にやろうと声掛けしても、なかなか参加して頂けない。良いことと言ってくれるが。何か会員を増やす方法はないか」と質問され ました。私は、仲間づくりの一つの方法として、地域外の実践者などを招いて研修をしたり、交流して見てはと提案させて頂いた。「事」に変化を与える要素の 一つに「よそ者」の力を借りることがポイントと思う。
1月5日のニュース報道番組に管首相が出演され「高齢者が地域で起業化することを支援する政策を新年度から検討したい」と発言されていた。
高齢者社会をマイナス志向に捉えず、21世紀は、高齢者が新たな地域力を築く集団である。積極的な社会参加の方策により、安心感を売り物にした多彩なビジネスサービスを提供し、若者にも起業家精神を発信して頂きたい。
出雲の魚屋さん
今から5年前の春ごろ、道の駅ふぉレスト君田で魚を販売させて頂きたいと訪ねてきた。当時、私は支配人として話を覗い、毎週土曜日に限り販売することを許可した。
公共的サービスを担っている道の駅であり、営利目的にした出店に慎重に判断することが求められている。一度許可すと変更や解除に苦労してきた経験がある。
君田は山村であり、海の食材は利用者も喜ぶだろうと考えた。出会いの縁を活かし、地域だけでは提供できない付加価値を高めるサービスであった。
毎週の魚の出店が定着し、軽トラック保冷車を今か今かと待つお客さんで賑わうようになった。
魚屋の店主がなんとも太っ腹の方である。お客さんに「道の駅の喫茶店でコーヒーを飲んで行って」と料金を肩代わりすことが常であった。店主は、道の駅に還元することは当然のことであり、お金を回していれば、また、戻ってくる。与えることで人生は拓けるが口癖である。
魚屋の店主も、色んなことに気づかせてくれたり、勇気づけてくれた一人である。道の駅に関わりの中で出会った忘れられない人となっている。
今では、道の駅の販売より、家庭訪問の販売先が100軒近くになり、そちらの訪問が多忙とのことである。
君田や近郊の町の住民も、新鮮な海の幸と巡り合える日を喜んでいる。
店 主は「役所が絡んでいるような施設は、許可をしてくれないことが多い。お客さんが喜ぶ事であっても責任もって既成を越える事はしないものだ。古川さんが、 了解して頂いたことで君田などの住民と縁ができた。道の駅にも色んな形で還元させて頂きます。そして、最初の古川さんとの縁を忘れてはいけないと思ってい ます」。
断り続けているのだが、毎週土曜日に立ち寄られる。そして、食べきれないほどの魚を置いていく。時には、調理もしてくれる。
近所に、分け与え、喜ばれている。
店主とは、ギブ&テイクで野の幸と海の幸の交流が続いている。縁側に腰掛け、田園風景を観ながら、お茶を飲み、人生や子育て、職業観などに時を共にする。